ホルミシス効果を「少量の放射線によって人体の免疫機能が活性化する」と解釈する方もいらっしゃいますけれども、これも誤りです。人体の免疫機能を担う免役細胞(特に後述のT細胞、B細胞、NK細胞などのリンパ球)たちは放射線感受性が高い(放射線に弱い)のに加え、それらが生み出される骨髄や胸腺もまた放射線感受性が高い組織です。放射線を浴びたリンパ球はアポトーシスによる細胞死を起こすことがよく知られており、しきい値こそありますが、全身で250mSv以上の外部被曝を1度に浴びたときにはリンパ球の数に減少が確認されています。しきい値以下の低被曝量では特別人体のリンパ球が減少したという報告は為されてませんが、逆に増加したという有意な報告もありません。また、それらの検証実験の多くは放射線の透過性の高さや全身被曝モデルの検証のしやすさから主にγ線やX線を用いたものばかりであり、ラドンやその娘核種のようなα線源を用いた物ではありませんでした。つまり低線量の放射線、特にα線源による人体の免疫機能の活性化(免疫細胞の増加等)という現象を実証した観測がされたことは無いのです。
次にそもそもよく誤解されることですが、がんという病気は細菌やウイルスによる病気を治す時のように免疫系によって対応できるものではありません。
免疫系のしくみを簡単に解説すると。細菌やウイルスが体内に侵入した時、初期対応として細菌を食べる好中球やマクロファージ、侵入者の情報を指令役のヘルパーT細胞に伝える樹状細胞、常時体内を巡回して独自の判断でウイルスに取り付かれた細胞を破壊するNK(ナチュラルキラー)細胞などによって行われる自然免疫と、樹状細胞から侵入者の情報を受け取ったヘルパーT細胞の指示の下、侵入者の力を弱めたり目印を付けて好中球やマクロファージの働きを補助したりするための抗体を生み出すB細胞、ウイルスに取り付かれた細胞をNK細胞よりもさらに選択的に破壊するキラーT細胞によって行われる獲得免疫があり、この2段階の仕組みによって生物の身体は守られています。
これらの免疫機能で共通していることは「表面タンパク質の化学的な成分の違いによって『自己の細胞』であるか『自己でない侵入者』を区別している」点です。細胞の外で増殖する細菌が自己の細胞と成分が異なっているのはもちろんのこと、取り付かれたウイルスが内部で増殖する細胞もまた細胞膜の成分が正常な細胞とは異なるものに変質するため、その化学的な成分の違いによって判別することができます。
しかし正常な細胞から突然変異で変化したがん細胞の場合は、この免疫機能が上手く働かない状況が発生してしまします。
別ページでも解説しましたが、がん細胞の正体は「細胞分裂機能のDNAが突然変異して細胞分裂の制御を失い、勝手に増殖し続けてしまう細胞」に過ぎません。正常な細胞とがん細胞では細胞膜の表面たんぱく質の成分にほとんどの場合違いが見えず、例外的に細胞膜の成分に突然変異の明確な影響が現れるケースを除けば、化学的な外見上の違いで区別することは出来ません。つまり普段は細菌やウイルスの脅威から身体を守っている免疫細胞たちは、がん細胞と正常細胞を判別することが出来ず、がんを治すことは出来ないのです。
「少量の放射線によって人体の免疫機能が活性化する」とするホルミシス効果は、低線量の放射線は免疫機能に影響を与えられないということと、免疫機能ではがんは治せないということの2重の意味で誤りであると言えます。
特徴 | 免疫系の働き | |
細菌 | 細胞外で増殖する。 | 細菌の細胞壁を検知して、好中球やマクロファージによる分解(自然免疫)とB細胞が生み出す抗体(獲得免疫)によって除去する。 |
ウイルス | 細胞に取り付いて増殖する。 | ウイルスの取り付いた細胞ごと、異常を感知したナチュラルキラー細胞による破壊(自然免疫)とヘルバーT細胞の指示を受けたキラーT細胞による破壊(獲得免疫)によって除去する。 |
がん細胞 | 細胞の遺伝子が突然変異を起こし、細胞分裂の制御を失って勝手に増殖する。 | 特別なケースを除けば、がん細胞と正常細胞の区別することが出来ず、がん細胞を除去することが出来ない。 |